ハプニング
M・ナイト・シャマラン監督の最新作「ハプニング」をさっそく観てきました。そういえばシャマラン監督の映画はまだ一つも感想を書いていないことに気付きました。実を言うと私はシャマラン監督の映画が大好きなのです。「レディ・イン・ザ・ウォーター」は観てませんが、それ以外の映画はほとんど文句のつけようがないくらい傑作だと思っています。この時点で共感できない方は今回の感想は読まないほうがよろしいかと思います。
お話はセントラルパークで起こった異変から始まります。人々が急に立ち尽くし、うわごとのように同じことを繰り返し喋るようになったり、よたよたと後ろ歩きをしたり、そうかと思うと自分で自分を傷つけ、死んでしまったりという怪現象が発生するのです。政府はこれをテロ攻撃と断定し、人々に避難するよう勧告するみたいな感じでお話は展開していきます。
マーク・ウォールバーグ扮する生物の教師も妻と友人と一緒に避難することにします。しかし乗っていた列車はどことも連絡が取れなくなったと言って止まり、彼らは歩いて逃げることになるのです。逃げるといっても怪現象の原因すら定かではなく、安全な場所がどこかもわかりません。まったく先の見えないロードムービーのような展開が後半は待っているのですが、いつも通りシャマランはこれがテーマだと思って観ていたものを絶妙にはぐらかして全く予想外のドラマをクライマックスに持ってきます。
私はこの映画を観てジョン・ウィンダムを連想しました。昔のSF作家さんで、破滅テーマの作品を多く書いています。「トリフィドの日」(映画化タイトルは「人類SOS」)や「呪われた村」(映画化タイトルは「光る眼」)と言えば分かる方もいると思います。もともとシャマラン監督は古典SFのテーマを現代を舞台にリアルに焼き直すことが得意な人だと思っていましたが、今回は破滅テーマで来ましたか、と思いました。途中までは何がなんだか分からないお話なのですが、どうも植物の出す化学物質が原因ではないか、我々人類は植物から攻撃を受けているのではないか、となってきた辺りで、「トリフィドの日」をますます連想したのはこじつけすぎでしょうか。
前半はもうこれ以上ないくらいホラーなのです。どうも化学物質の影響を受けた人間は死への危機感が麻痺するらしく、危険に全く無頓着になったり、積極的に自殺したりしていきます。この描写がかなりショッキングです。今までにないくらい直接的なグロ描写が飛び出しますので気をつけてください。しかし本当に恐ろしいのはグロさよりも、さっきまで生きていた人間がくたくたの単なる肉塊に変わってしまうあっけなさと言うか、痛みも恐怖も感じず淡々と死に向かっていく姿の不気味さでしょうか。ライオンに腕を食わせるところや、首吊り死体がいくつもぶらさがっているところなど、かなり精神的にキツイものがありました。全編こんな調子の映画だったらどうしよう、と私は不安になったのですが、幸か不幸かそういう描写は前半の掴みだけで終わり、後は不安の中での逃避行に焦点が合わされていきます。
ゾンビ映画などでおなじみでしょうからもう言ってしまいますが、この映画にとっては怪現象は実はどうでもよくて、次第に我が身を守るためにエゴをさらけだす人間の醜さや、恐ろしさを描くことにシフトしていきます。さらにそれで終わるかと思いきや、実はドラマの主眼は崩壊しかけていた主人公夫婦の再生へと焦点が合わされていきます。植物の脅威が迫り、お互い離れ離れの建物に閉じこもり、管を通して会話をして、ようやく心を通わせることになるのです。そして死ぬなら一緒に死にたいとドアを開けて二人は外に出て一緒になるのです。それがクライマックスとなっています。もう怪現象なんかどうでもいいのです。しかしどうでもいいからと真相は何だったのかちゃんと解明されないのは、ちょっとどうかなと思ってしまいます。「サイン」で宇宙人をちゃんと最後に出したシャマランとは思えません。
さらに私はラストで妻が妊娠したところで終わるこの物語を額面通り受け取ることが出来なくて困ってしまいました。私の深読みのしすぎであることは間違いないのですが、その子供というのは果たして…、と穿った見方をしてしまうのです。先ほどのジョン・ウィンダムの「光る眼」は宇宙人が人間の女性を妊娠させ、恐ろしい子供たちが生まれてくるお話でした。ひょっとしたら植物が何らかの影響を及ぼして妻を妊娠させ、だから二人は助かったのではないか、と一瞬思ったのです。しかし映画の中にはそんなことを示唆する描写はありませんので、私の勝手な想像です。そのようにいろんなことを考えながら観ると非常に楽しい映画です。欲を言えばもうちょっとパニック的に派手な盛り上がりがあって欲しかったということくらいでしょうか。なにせ風が吹いて草木がなびくくらいしか襲撃シーンの描写がないものですから。それはそれで面白いか…。
お話はセントラルパークで起こった異変から始まります。人々が急に立ち尽くし、うわごとのように同じことを繰り返し喋るようになったり、よたよたと後ろ歩きをしたり、そうかと思うと自分で自分を傷つけ、死んでしまったりという怪現象が発生するのです。政府はこれをテロ攻撃と断定し、人々に避難するよう勧告するみたいな感じでお話は展開していきます。
マーク・ウォールバーグ扮する生物の教師も妻と友人と一緒に避難することにします。しかし乗っていた列車はどことも連絡が取れなくなったと言って止まり、彼らは歩いて逃げることになるのです。逃げるといっても怪現象の原因すら定かではなく、安全な場所がどこかもわかりません。まったく先の見えないロードムービーのような展開が後半は待っているのですが、いつも通りシャマランはこれがテーマだと思って観ていたものを絶妙にはぐらかして全く予想外のドラマをクライマックスに持ってきます。
私はこの映画を観てジョン・ウィンダムを連想しました。昔のSF作家さんで、破滅テーマの作品を多く書いています。「トリフィドの日」(映画化タイトルは「人類SOS」)や「呪われた村」(映画化タイトルは「光る眼」)と言えば分かる方もいると思います。もともとシャマラン監督は古典SFのテーマを現代を舞台にリアルに焼き直すことが得意な人だと思っていましたが、今回は破滅テーマで来ましたか、と思いました。途中までは何がなんだか分からないお話なのですが、どうも植物の出す化学物質が原因ではないか、我々人類は植物から攻撃を受けているのではないか、となってきた辺りで、「トリフィドの日」をますます連想したのはこじつけすぎでしょうか。
前半はもうこれ以上ないくらいホラーなのです。どうも化学物質の影響を受けた人間は死への危機感が麻痺するらしく、危険に全く無頓着になったり、積極的に自殺したりしていきます。この描写がかなりショッキングです。今までにないくらい直接的なグロ描写が飛び出しますので気をつけてください。しかし本当に恐ろしいのはグロさよりも、さっきまで生きていた人間がくたくたの単なる肉塊に変わってしまうあっけなさと言うか、痛みも恐怖も感じず淡々と死に向かっていく姿の不気味さでしょうか。ライオンに腕を食わせるところや、首吊り死体がいくつもぶらさがっているところなど、かなり精神的にキツイものがありました。全編こんな調子の映画だったらどうしよう、と私は不安になったのですが、幸か不幸かそういう描写は前半の掴みだけで終わり、後は不安の中での逃避行に焦点が合わされていきます。
ゾンビ映画などでおなじみでしょうからもう言ってしまいますが、この映画にとっては怪現象は実はどうでもよくて、次第に我が身を守るためにエゴをさらけだす人間の醜さや、恐ろしさを描くことにシフトしていきます。さらにそれで終わるかと思いきや、実はドラマの主眼は崩壊しかけていた主人公夫婦の再生へと焦点が合わされていきます。植物の脅威が迫り、お互い離れ離れの建物に閉じこもり、管を通して会話をして、ようやく心を通わせることになるのです。そして死ぬなら一緒に死にたいとドアを開けて二人は外に出て一緒になるのです。それがクライマックスとなっています。もう怪現象なんかどうでもいいのです。しかしどうでもいいからと真相は何だったのかちゃんと解明されないのは、ちょっとどうかなと思ってしまいます。「サイン」で宇宙人をちゃんと最後に出したシャマランとは思えません。
さらに私はラストで妻が妊娠したところで終わるこの物語を額面通り受け取ることが出来なくて困ってしまいました。私の深読みのしすぎであることは間違いないのですが、その子供というのは果たして…、と穿った見方をしてしまうのです。先ほどのジョン・ウィンダムの「光る眼」は宇宙人が人間の女性を妊娠させ、恐ろしい子供たちが生まれてくるお話でした。ひょっとしたら植物が何らかの影響を及ぼして妻を妊娠させ、だから二人は助かったのではないか、と一瞬思ったのです。しかし映画の中にはそんなことを示唆する描写はありませんので、私の勝手な想像です。そのようにいろんなことを考えながら観ると非常に楽しい映画です。欲を言えばもうちょっとパニック的に派手な盛り上がりがあって欲しかったということくらいでしょうか。なにせ風が吹いて草木がなびくくらいしか襲撃シーンの描写がないものですから。それはそれで面白いか…。


