生まれてから今まで観てきた映画全部

タイトル通り、生まれてから今まで観てきた映画全部についての感想を述べたいと思います。

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ウルフガー

Author:ウルフガー
業界の末端に携わっている映画好きです。名前の由来は「ナイトホークス」より、ルトガー・ハウアー扮するテロリストから勝手に頂きました。

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一番美しく

一番美しく<普及版> 一番美しく<普及版>
志村喬;清川荘司;菅井一郎;入江たか子;矢口陽子 (2007/12/07)
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今日は黒澤明監督の「一番美しく」の感想を書きたいと思います。この映画を観たのは十数年前、衛星放送で黒澤監督の特集をしていた時だったと思います。当時の私は黒澤映画ならなんでも観てやろうと思っていたので、特別期待せずに観ました。これは1944年に作られた戦意高揚映画というか、まあ国策映画なのですが、実に出来のいい映画なのです。素直に感動でき、その上で映画的テクニックも冴えています。

お話はレンズを磨く工場の女工さんたちの働きぶりを描いていきます。当時レンズと言えば、望遠鏡、潜望鏡、照準器など、精密機械に搭載され、この精度一つで戦局を左右すると言っても過言ではないものでした。そんなわけでレンズ工場では曇り一つない精度の高いレンズを作ることが使命だったわけです。そんな工場で、女工さんたちが自分たちの待遇に不満があるというのです。労働時間が長いことに対する不満かと思えば、男に比べて労働時間が短いことが不満なのです。これは不平等だ、私たちもお国のために戦いたい、という主張です。素晴しいポリティカルコレクトな展開です。いや皮肉でも何でもなく。

そんなわけで過酷な労働に従事する彼女らですが、実はこれ、実際の工場へ行って、本物の女工さんたちの働きぶりを撮影しています。黒澤監督自身はセミドキュメンタリーだと言っていますが、当時の貴重な記録なのです。冒頭の朝礼のシーンなどは、たぶん全員本物です。このシーンのおかげで映画全体がえらくリアルに見えます。しかしリアリズムだけではありません。何十人という女工さんたちが、部屋の中でひしめいている映像は、まるでフリッツ・ラングの映画のような、そうドイツ表現主義のような画作りになっています。いや私もよく分からないんですけど、コントラストのつけ方とかがかなり大胆です。

そして映画はクライマックスの、チェック洩れのレンズが紛れ込んだのを、大量のレンズの中から探すくだりへと突入します。このチェック洩れが判明する時の回想シーンが今見ても斬新です。なぜこのような映画にミステリ映画まがいの映像トリックを使うのか、まるで分からないのですが、とにかくカッコいいです。ついに主人公の女性が(ごめんなさい、全く名前を忘れました)、夜通しの作業の末、レンズを発見した時には何やら崇高なものすら感じさせます。

この映画の背景には、というか舞台そのものが、学徒動員であり、女子挺身隊という、無賃金で過酷な労働を強いられた、戦時下の異常な状況であったことは否定できません。そしてそのような時代では集団として国のために尽くすことが美徳であり、それ以外の描き方をするようなことは許されませんでした。いかな黒澤と言えど、その時代の流れに逆らうことはできず、また逆らう必要を感じたかどうかも分からないのですが、それでもこの映画の最後の最後、主人公が流す涙には、反戦の願いが込められていたのではないか、と私は思うのです。それともこれは好意的な深読みのしすぎでしょうか。

象を喰った連中

これはかなり昔の映画です。1947年ですから今から60年ほど前です。当然モノクロ映画です。なぜこれを観ようと思ったのかと言うと、吉村公三郎監督の書いた著書を読んでいろいろためになることがあったので、ではその人が撮った映画はどんなものだろう、と観てみようと思ったのですが、これが参りました。今ではそうでもないのかも知れませんが、ほとんどの映画が容易に観ることが出来ないのです。まずビデオがありませんでした。あっても書店で高額で売られていたりするアレです。テレビでも放送しませんし、小さな映画館でリバイバルするというタイプの映画でもありません。お手上げかと思った時に、TSUTAYAにビデオが置いてあったのです。それがこの「象を喰った連中」でした。

どんな話かと言うとタイトルのままです。象の肉というものがある、珍しいから喰ってみるか、ということで喰った連中が、後で実は象の肉には毒があるらしい、と分かり、大慌てで解毒剤を求めるという映画です。コメディなのです。

昔の映画なのでさすがにテンポはちょっとスローですが、なかなか面白いシチュエーションです。ギャグの連続というより、じっくり描いているので、大きなギャグが生きてきます。連中は研究所から解毒剤を取り寄せるのですが、その内の一本が割れてて使い物にならなくなっているのが分かる瞬間など、かなりスリリングです。それが映画の大詰めで判明するので、ちょっと驚きます。

そこからのシーンが、実は私が一番感銘を受けたところでした。一本解毒剤が足りない、ということは誰か一人が犠牲にならなければならない。それが誰か決めるのに、くじを引こうということになります。一人の男がくじを作ります。マッチ棒を取り出して、一本だけ頭を折ったから、それが当たりだ。いや当たりじゃないですね。外れですね。それを引いた者が犠牲になるのです。みんなは恐る恐るくじを引きます。ところが引かれたマッチ棒はすべて頭がついていました。ということは男の手に残ったマッチ棒が頭のないマッチ棒です。男はマッチを見せずに、俺が当たりだから、みんなで解毒剤を使えよ、と言います。そしてみんなが解毒剤を打ちにいなくなった時に、男は手に持っていたマッチで火をつけ、おもむろに煙草を吸うのです。つまりどのマッチも折っていなかったのです。男は最初から自分が犠牲になるつもりでいたということでした。コメディ映画にも関わらず、ここで感動してしまいました。ただしその後で、「今のを見ていましたよ」と通りすがりの男が現れて、全部言葉で説明してしまうので、ちょっと台無しな感じがありましたが。

そんなわけで、一人だけ解毒剤も得られず、死ぬしかなくなった男ですが、家に帰ると、妻がそうそうに念仏を上げているのが笑わせます。果たして男の運命はどうなるのか、ということまで書くのはさすがに止めておきますが、これなどは逆に人を喰ったようなオチですので、お気をつけ下さい。私はかなり肩すかしを食らわされました。

というわけで今回はかなり古い映画ですが、そういう映画の中にも面白いコメディがあるという、そんなお話でした。
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